防府出身者・在住者のための情報掲示板1999年No.81

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No. 登録日付 お名前 ご住所 内  容
810 4/12 taka21 防府市植松 ○JR防府駅「てんじんぐち(北口)」を西方向から東方向を見たら・・
昔は、北口しかなく、ここが防府の玄関でした。今は、このような景色です。
昔はもっとごちゃごちゃしていて、活気があったように覚えています。
バス乗り場も「小郡方面ありませんか。まもなく発車します。」と女性のアナウンスが流れていました。今はバス乗り場も「てんじんぐち(北口)」「みなとぐち(南口)」の2カ所に分かれています。
バス乗り場・マルキュウ方面
(「てんじんぐち」から西方面)

写真をクリックしてネ
バス乗り場・マルキュウ方面
マルキュウ方面
(「てんじんぐち」から北西方面)

写真をクリックしてネ
マルキュウ方面
防府駅正面・山陽楼方面
(「てんじんぐち」から北方面)
手前は、観光案内地図です。

写真をクリックしてネ
防府駅正面方面(山陽楼・カメラのさくらいなど)
住友信託銀行方面
(「てんじんぐち」から北東方面)
住友信託銀行方面
アスピラート方面
(「てんじんぐち」から東方面)
タクシー乗り場の向こうにアスピラート
今から、25年前ごろの防府駅を思い出すと・・・
防府駅を降りたら、バスがたくさん止まっていて(正面には国鉄バスが止まっていました)、すぐ前がタクシー乗り場、右にハンバーガーのドムドム(当時、市内で唯一のハンバーガーショップ・妻はクラブの試合の帰りに寄ったそうです。今はない。)とトイレ駐在所の先に観光案内所があったと記憶しています。
そのあたりにでっかい観光案内看板が立っていたような気がします。
駅を出て左へ行くと、みどりの窓口(自動ドアがボタンによる自動ドアで市内では当時珍しかった)、その横が郵便物・小荷物の窓口でした。
そして防長バスの乗り場がありました。線路沿いに少し歩くと防石バスの乗り場があって、クリーム色に濃い青色の堀行きのバスが発車していました。その前には、小さな公園(自転車置き場のような)があって、昔の防府商工会議所に向いて、競輪の開催案内表示がありました。国鉄の物資部もあって、反対側のマルキュウとともに、当時の市内の商業の中心でした。

駅構内を思い出すと・・・
改札口が大理石みたいな石でできていて(結構これが駅構内の特徴でした。)、そこが1番ホームです。ホームの上には、「あさかぜ2号6号車」のような特急寝台などの入り口を示すがたくさんぶら下がっていました。初めて大学受験で乗ったとき、切符とそれを何回も見た記憶があります。
そういえば、昔は列車が来ないときは、改札口が閉まっていました。改札口の上には、次の列車の案内表示器がありましたね。
改札口に入ってから左(徳山方面)へ歩くと、立ち食いうどん(今も健在。ただしホームでは現在食べられない)があって、その先に洗面台が並んで(きっと、昔の夜行列車用乗客用だと思います)、トイレ、そして下りのホームへ行く階段がありました。2番3番ホームです。
ホームの小郡方面よりには、下りホームへ荷物を運搬するエレベータがありました。
ホームから桑の山方面を見ると、今のサティあたりに、貨物駅がありました。
私が小学校の頃は、小さな機関車が貨物の入れ替え作業をしていたように覚えています。20年前は、ディーゼル機関車がその作業をしていました。
今、貨物駅は市内の牟礼にあります。
そういえば、電車も昔は、東京の湘南電車と同じ、オレンジと緑の電車でしたが、今はクリーム色にブルーのラインの電車です。
しかし、前の駅舎で1番の思い出は、18歳の時はじめて上京したのは、あさかぜでした。1番ホームに、見送る両親と妹がいて、小郡方面から、列車がカーブを曲がって駅へ入線した光景は、わすれません。
ざっと思い出すままに書きましたが、覚え間違いは、ありましたでしょうか?
811 4/14 くすくす 東京都世田谷区 昔の防府駅の風景ですね。
僕が覚えている範囲では貨物駅はすでに無く工事中といった感じで資材置き場になっていました。大体15年前ぐらいですね。
高校時代、みどりの窓口の脇にあった中華料理屋らしき店で豚まんを買っていました。
学校帰りにはよく売店と立ち食いそばの前にあったベンチに座って友達と長々と話をしていて、小郡駅から美東町までのバスに乗り遅れたり(最終が7時半!)ということもありましたね。
みなとぐちができて高校や市役所等へのアクセスが便利になったのは良いことだと思いますが、線路沿いを踏切まで歩く間にもドラマがあったような気がして少し淋しいとも思います。憧れの人の帰宅時間にわざわざ合わせて一緒に駅まで歩いて、30分に一本の電車を待つ間に他愛無いお喋りをする時間が楽しみでしようがなかったあの頃・・・。
きれいな駅は便利になって踏切待ちも無くなって確かに良くなりました。今からそこを通りすぎる人達にとってどういった思い出を作っていくのでしょうか?その思い出もきれいなものであって欲しいと思います。
812 4/19 Y.Kaori 大阪市都島区  はじめまして、私は、4年前に学校に行くために大阪に出ました。
このぺージは親友が教えてくれました。4年前は、まだ駅も昔の駅でした、それから私は半年ごとに防府に帰ってますが、帰る度に駅は、大きく姿を変えていきました。すさましい勢いでかわっていってしまい新しい駅にはじめて降りたときここはどこだ?というのと、昔はどんな風になってたかなと思い出そうと思ってもさっぱりわからず、防府に帰ってきたという感じになれず、懐かしさとかが感じれず・・・その前の大道駅とかでは、<友達と話していたベンチが4年前と変わらずおなし場所にありその当時を鮮明に思い出させてくれ、あ〜〜帰ってきたなと感じたのが、防府は、それがなかった。>変わっていくのは、とってもいいことだと思います。他だ私は、変わっていく駅が徐々にみていたのでなく、一気に出来上がりをみたので、驚きました。
 この4月のはじめにも防府にかえるとまたまたびっくりです、ニチイがSatyになってるではないですか!oh〜〜すごい!!!
私は、山口を出て4年になるけれど、いずれは山口に帰りたいと思うし、帰るつもりです。家族がいるのもあるけれど、いい町だと思うから・・・変わってもいい町でしょ。
813 4/19 まっちゃん 名古屋市天白区 迫戸の倉重さん、久々の防府はいかがでしたか?
私も4月1日から5日まで年休を取って帰防しておりました。
でも残念ながら桜の満開にはもう少しという感じで花見をするにもイマイチの天候でした。自宅の近くに「のんた寿司」なるものがオープンしており、オープン当日出掛けましたがあまりの人の多さに「また次の機会」という事になってしまいました。
ところで、話は変わりますがtaka21さんの「防府駅周辺」の思い出話を読んでいて、そう言えば昔、私が高校生の頃は「開かずの踏み切り」によく引っかかり遅刻をしていたなあと懐かしく思いました。その「開かずの踏み切り」とは、駅の東側に有った最初の踏み切りで、毎朝(時間はもう忘れてしまいましたが、だいたい7:45位から)30分間位、遮断機が降りてしまい、それに引っかかればアウト。当時はまだ協和醗酵やカネボウへの引込線があり、その貨車の連結のために踏み切りの辺りでガチャンガチャンとやっておりました。 あれは、朝、母親にたたき起こされ、秒刻みで顔を洗い、服を着替え家を飛び出していた「朝まるで弱い私」にとって本当にいい迷惑でした。遅刻で何度、担任の先生にしかられた事か。。。。 でも、私だけではなく他にも経験された事のある人いるんじゃないかな?
814 4/20 家庭の胃学 名古屋市 ゴールデンウィークに帰ることになりました。
今回は、久しぶりに車で帰省することになりました。
車があるといろんな所に行けるのでとても楽しみです。楽しいところを探してみようと思っています。

まっちゃんさんへ
私もあの『開かずの踏切』で遅刻を1回しました。
あれほど悔しい思いをいたことはありません。出席簿に何もつかないように必死で頑張っていたのに・・・と、言ってもいつも遅刻寸前に行ってセーフだったのですが。
その日家に帰って当時国鉄職員だった父に文句を言った覚えがあります。「そんなことをゆうてもわしのせいじゃない!」と逃げられました。
今は、いいですよね。高架になって。
でもこんな面白い?!思い出ってなかなか無いですよね。
815 4/21 taka21 防府市植松 ○「開かずの踏み切り」の件
いろいろと、懐かしい思い出話、ありがとうございます。
この踏切はワイヤー式で、踏切の横に小さな小屋(?)があって、国鉄の人が丸い輪を回して、上下していました。 車道の踏切の東側に小さな踏切もあって、あまりにも長く踏切が閉まっている時は、そちらだけ開いたこともあったように覚えています。
まっちゃんさん家庭の胃学さんが書かれたように、 ディーゼルカーが貨車の入れ替えで行ったり来たりを繰り返して間、高校生の自転車が、よく踏切前にたまっていました。
その踏切も、たぶん牟礼に貨物駅が移転してから、踏切にいた国鉄の方がいなくなり、自動式の踏切に変わりました。
もう、今の踏切跡からは、想像できないですね。
昔話をもうひとつ、防府駅から電車に乗ると、駅の南側の建物の横にダンスホールと大きく書いてありました。電車に乗るたびに気になっていたのですが、今はもうありません。昔は、結構はやっていたのでしょうね。
816 4/22 taka21 防府市植松 おまたせしました。「開かずの踏み切り」の現在の写真を撮ってきました。
開かずの踏切の跡1
(車塚から山口銀行防府支店を見る)
上部は、高架の山陽線です。
山口銀行防府支店も、新しく防府駅
みなとぐちに完成し、出張所になる
そうです。
手前の赤い看板は、西日本銀行、奥
がアーケードの商店街、遠くの山が
天神山です。
開かずの踏切の跡
開かずの踏切の跡2
(踏切跡から徳山方面を見る)
上の写真を撮って、高架をくぐって
斜め右を見て写真を撮ったものです。
道路のコンクリートが踏み切り跡と
思われます。右手の道路が線路跡です。
写真の右側が、高架の山陽線です。
ここが、みなさんの想い出の現場です。
コンクリートが踏切跡
高架下の水車
(踏切跡そばの小川)
この小川は、開かずの踏切とそのすぐ
東側にあった小さな踏切との間に流れ
ていた川ですね。
高架下の水車
817 4/23 horse 東京都昭島市 ○taka21さんへ
 20日間ほど帰国し、家族と過ごした後、今度はアーバイン(カリフォルニア州)に舞い戻ってきました。こちらは、ここ数日間、正に抜けるようなカリフォルニアの青い空で、夏のような好天になっています。今日は近くのニューポートビーチに行ってみたら、いつものサーファー達に混じって、早くも泳いでいる人も見受けられました。また、海に突きだした堤防では、釣り師達がルアーや切り身餌を使って30cmぐらいの鯖を上げていました。
 ところで、寝台列車のあさかぜには私もいろいろ思い出があります。東京に就職試験を受けに行ったとき、そして受かって上京したとき、また、その後の帰省の時にもよく、あさかぜを利用しました。両親、兄弟に見送られながら、あさかぜで防府駅を離れる時にはいつも柄にもなく感傷的になっていました。当時は防府に停まり、東京に向かう特急列車は確か、あさかぜと富士しかなかったと思いますが、あさかぜの方が夕方の出発で利用しやすい時間帯であったような気がします。新幹線が博多まで行くようになってからは、あさかぜの予約がなかなか取りにくくなり、新幹線に切り替えざるを得なくなりましたが。
 もう一つ、taka21さんの記事に出てきたうどんですが、薄い醤油味に、味付けをした肉と小ネギを載せた防府駅や徳山駅の肉うどんは昔から私の好物でした。比較的単純な味だと思いますが、今では、女房や子ども達も防府に帰省する度に防府か徳山のいずれかで必ず食べる大好物になっています。なかなかこの手のうどんは、他では見かけませんね。
818 4/23 horse 東京都昭島市 No. 815のダンスホールは私も記憶があります。14,5才ぐらいの頃にそこを通りかかる度に妙に気になった看板でした。中で、何がどん な風に行われているのだろうかと。いつの間にか消えてしまったのですね。私は行ったことはもちろんありません。
 私のアメリカでの知り合い(男、40才ちょっと、X2、子持ち)が また、再婚したいと考えているようなので、相手はどんなところで見 つけるのだと聞いたとき、バーやダンスホールなんかに出かけている と答えたことがあります。
819 4/23 家庭の胃学 名古屋市緑区 懐かしい『開かずの踏み切り跡』の写真ありがとうございました!
感激です。
今は、あの頃の踏み切り(歩行者用と自動車用)も無くなり、きれいに整備されてちょっと寂しいです。
お正月に帰省した時に高校の頃の友人と歩きました。
「変わったねえ・・・。」と10数年前を懐かしく思い出しいろいろな話で盛り上がりました。
新しく変わっていく防府の街もまた違った思い出話が作られていくんでしょうね。

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